国際共同研究における偶発的所見:主要国の倫理ガイドラインと研究者の留意点
生命科学分野の国際共同研究では、様々な背景を持つ研究者や機関が協力し、時に予期せぬ発見をすることがあります。その一つに、「偶発的所見(Incidental Findings, IFs)」と呼ばれるものがあります。これは、研究の主な目的とは関係なく、研究の過程で偶然発見される、研究参加者の健康に関する情報や、サンプル・データに見られる特徴を指します。特にヒトを対象とした研究において、偶発的所見の取り扱いは重要な倫理的・法的課題となります。
国際共同研究においては、参加する国や地域の倫理ガイドラインや規制が異なるため、この偶発的所見への対応がさらに複雑になります。本記事では、偶発的所見の概要と、主要国における倫理ガイドラインの考え方、そして国際共同研究を進める上で研究者が留意すべき点について解説します。
偶発的所見とは何か
偶発的所見は、研究計画の目的外で得られる所見であり、研究参加者の健康に影響を与える可能性のある情報を指します。例として、ゲノム解析研究で疾患リスクに関連する遺伝子変異が偶然発見されたり、脳画像研究で脳腫瘍を示唆する画像所見が見つかったりする場合などが挙げられます。
偶発的所見は、その臨床的な意義や、研究参加者にとっての重要性によって様々に分類されます。中には、生命にかかわる可能性のある深刻な疾患を示唆するものもあれば、臨床的な意義が不明確なもの、あるいは全く健康上の問題につながらないものもあります。
偶発的所見への対応に関する倫理的背景
偶発的所見への対応は、主に研究参加者の「知る権利」と、研究者の「善行義務(研究参加者の利益を最大化する義務)」および「無害義務(研究参加者に不利益を与えない義務)」という倫理原則に関わります。臨床的に重要な偶発的所見を発見した場合、研究参加者にその情報を伝えるべきか、伝えるとしたらどのような情報を、いつ、どのように伝えるべきか、といった点が倫理的な議論の焦点となります。
しかし、告知には研究参加者に不安を与える可能性や、医療体制に負担をかける可能性など、潜在的な不利益も伴います。そのため、告知の義務や推奨される対応は、研究の内容、所見の性質、そして国や地域のガイドラインによって異なります。
主要国の倫理ガイドラインにおける偶発的所見の扱い
偶発的所見に関する倫理ガイドラインや推奨は、国や地域によって多様性が見られます。ここでは、国際的な議論で参照されることが多い主要国の考え方をいくつかご紹介します。
米国
米国では、偶発的所見への対応に関する議論が比較的進んでいます。特にゲノム研究分野では、米国臨床遺伝ゲノム学会(ACMG)や米国国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)などがガイドラインや推奨事項を提示しています。ACMGは、臨床検査における遺伝学的偶発的所見について、特定の既知の疾患リスクに関連する遺伝子リストを公表し、研究参加者の同意を得た上でこれらの所見を積極的にスクリーニングし、陽性の場合には告知することを推奨しています。
倫理指針としては、研究計画段階で偶発的所見の発生可能性を検討し、その対応方針(スクリーニングするか、告知するか、告知する場合の基準など)を定め、これをインフォームド・コンセントで明確に研究参加者に伝えることの重要性が強調されています。告知の範囲や方法は、研究デザインや対象となる所見の性質によって柔軟に設定されることが一般的です。
欧州
欧州でも、各国や欧州連合(EU)レベルで偶発的所見に関する議論が行われています。欧州人間遺伝学会(EGA)などの専門機関が倫理的な推奨事項を発表しています。米国のような特定の遺伝子リストに基づいた積極的なスクリーニング義務付けは一般的ではない場合もありますが、研究計画段階での十分な検討、インフォームド・コンセントでの明確な説明、そして臨床的意義の高い所見の告知の重要性は広く認識されています。
EUの一般データ保護規則(GDPR)は、研究データの取り扱い、特に個人情報を含むデータの越境移転に厳しい制約を課しています。偶発的所見に関する情報も機微な個人情報に該当するため、共同研究相手との情報共有や、研究参加者への告知を行う際には、GDPRおよび各国のデータ保護法を遵守する必要があります。
日本
日本においても、生命科学研究や医学研究に関する倫理指針において、偶発的所見の取り扱いに関する規定が設けられています。「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」では、偶発的所見が生じる可能性のある研究においては、あらかじめその対応方針(研究対象者等への説明、対応方法、専門家への相談体制等)を研究計画書に記載し、倫理審査委員会の承認を得ることが求められています。また、インフォームド・コンセントの際には、偶発的所見に関する対応方針を研究参加者に十分に説明し、理解を得ることが重要であるとされています。
日本の指針では、偶発的所見の全てを研究参加者に告知することが義務付けられているわけではなく、所見の臨床的意義や研究参加者の希望などを総合的に考慮し、適切な対応をとることが求められています。
国際共同研究における実践的な留意点
国際共同研究において偶発的所見に適切に対応するためには、以下の点に留意することが重要です。
研究計画段階での十分な検討
共同研究を開始する前に、研究のデザインからどのような偶発的所見が発生する可能性があるかを具体的に検討します。そして、それらの所見をどのように扱うか(スクリーニングの実施有無、告知の基準、告知方法、告知先など)に関する方針を明確に定めます。この方針は、共同研究に参加する全ての研究者、機関、および関係国の倫理ガイドラインや規制を考慮に入れて策定する必要があります。異なる国の間で方針に相違がある場合は、事前に十分に協議し、共通の方針を定めるか、あるいは各国・機関ごとの対応を明確に区分けしておく必要があります。
インフォームド・コンセントでの丁寧な説明
研究参加者からインフォームド・コンセントを得る際に、偶発的所見が発生する可能性、研究チームが定める偶発的所見への対応方針(例: 「このような所見が見つかった場合には告知します」「臨床的意義の高い所見のみ告知します」「偶発的所見のスクリーニングは行いません」など)、そして告知を希望するか否かの選択肢が与えられる場合にはその旨を、研究参加者が理解できる平易な言葉で丁寧に説明します。言語や文化的な背景の違いにも配慮し、研究参加者が十分な情報に基づいて同意の判断ができるように努めます。
倫理審査委員会(IRB/ERC)との連携
研究計画書には、偶発的所見に関する詳細な対応方針を記載し、倫理審査委員会(IRB/ERC)の承認を得る必要があります。国際共同研究の場合、参加する各国のIRB/ERCの承認が必要となることが一般的です。IRB/ERCごとに偶発的所見に対する考え方や要求事項が異なる場合があるため、事前に十分な協議を行い、承認を得られるように準備を進めます。場合によっては、中央IRBの活用や、各国IRB間の相互承認の可能性についても検討すると良いでしょう。
データ・サンプルの適切な管理
偶発的所見に関するデータやサンプルは、極めて機微な情報を含んでいます。これらの情報にアクセスできる者を限定し、厳重なセキュリティ対策を講じることが不可欠です。また、研究参加者が偶発的所見の告知を希望しなかった場合や、研究チームが告知しないと判断した場合でも、将来的な再評価や医療連携のためにデータを保存するか否か、保存する場合の期間や条件などを研究計画で定め、倫理審査での承認を得ておく必要があります。国際間でデータやサンプルを共有する際には、各国のデータ保護規制(GDPRなど)や生物多様性条約(ABS)関連の規制を遵守しなければなりません。
共同研究チーム内での共通認識の構築
国際共同研究チームを構成する研究者間で、偶発的所見の定義、スクリーニング方針、告知基準、手続きなどについて、共通の理解と認識を持っておくことが極めて重要です。定期的なミーティングを通じて情報共有を行い、偶発的所見が見つかった場合の報告・評価・対応プロセスを明確にしておくことで、混乱を防ぎ、研究参加者への適切な対応を担保することができます。
結論
生命科学分野の国際共同研究において、偶発的所見の取り扱いは避けて通れない重要な倫理的・法的課題です。偶発的所見への対応方針は、研究の性質、所見の内容、そして各国・地域の倫理ガイドラインや規制によって異なります。若手研究者が国際共同研究に携わる際には、この多様性を理解し、研究計画の初期段階から偶発的所見の発生可能性を検討し、その対応方針を明確に定めておくことが極めて重要です。
インフォームド・コンセントにおける丁寧な説明、倫理審査委員会との緊密な連携、そして共同研究チーム内での共通認識の構築は、偶発的所見に適切に対応し、研究参加者の権利と利益を保護するために不可欠なステップです。これらの倫理的・規制的な側面を十分に理解し、実践することで、国際共同研究を円滑かつ倫理的に進めることができるでしょう。