主要国の倫理審査委員会(IRB/ERC):国際共同研究で知っておきたい手続きと役割
国際共同研究と倫理審査委員会(IRB/ERC)の役割
生命科学分野の研究は、国境を越えた国際共同研究として進められることがますます増えています。ヒトを対象とする研究やヒト由来の生体試料、遺伝情報等を取り扱う研究においては、被験者の尊厳、人権、安全を保護するため、研究計画を倫理的・科学的な観点から審査する倫理審査委員会(Ethics Review Committee; ERC)または治験審査委員会(Institutional Review Board; IRB)による承認が不可欠です。
国際共同研究においては、複数の国の倫理審査委員会による承認が必要となる場合があり、それぞれの国の規制や手続き、さらには文化的な背景による倫理観の違いを理解することが重要です。この記事では、主要国における倫理審査委員会の基本的な役割や手続き、そして国際共同研究を進める上で特に留意すべき点について解説いたします。
倫理審査委員会の基本的な役割と構成
倫理審査委員会(IRB/ERC)は、主に以下の役割を担っています。
- 研究計画の倫理的妥当性の審査: 研究の目的、方法、対象者の選定、リスクとベネフィットのバランスなどが、倫理原則(ヘルシンキ宣言など)や各国の関連法令・指針に適合しているかを確認します。
- インフォームド・コンセントプロセスの確認: 研究参加者から適切に自由意思に基づいた同意(インフォームド・コンセント)が得られるか、同意説明文書の内容は分かりやすいかなどを審査します。
- 被験者の安全保護: 研究期間中の被験者の安全を確保するための措置や、有害事象発生時の対応計画などを確認します。
- プライバシーとデータ保護: 収集される個人情報や生体試料が適切に匿名化、管理、保護される計画になっているかを確認します。
- 研究の継続審査: 承認された研究が計画通り実施されているか、倫理的な問題が発生していないかなどを継続的に審査します。
委員会の構成は、医学、歯学、薬学等の自然科学の専門家だけでなく、倫理学、法学等の人文・社会科学の専門家、そして所属機関と利害関係を有しない一般の委員(非専門家)を含む多角的な視点を持ったメンバーで構成されることが一般的です。
主要国の倫理審査委員会制度
日本
日本では、ヒトを対象とする医学系研究に関する倫理指針や、再生医療等安全性確保法などに基づき、研究機関や医療機関に倫理審査委員会が設置されています。研究責任者は、研究計画を所属機関の倫理審査委員会に提出し、承認を得る必要があります。委員会は、研究の倫理的妥当性及び科学的妥当性について審査を行い、承認、修正の上承認、不承認等の決定を行います。承認後も、年1回以上の継続審査が求められるほか、計画変更や有害事象発生時には報告や再審査が必要です。
米国
米国では、IRB (Institutional Review Board) が中心的な役割を果たします。連邦規則であるCommon Rule (45 CFR Part 46) 等に基づき、人間の被験者を対象とする研究はIRBの審査・承認を経る必要があります。IRBには、科学的メンバー、非科学的メンバー、機関外のメンバーが含まれている必要があります。審査の種類には、リスクに応じた完全審査 (Full Review)、迅速審査 (Expedited Review)、免除 (Exemption) があります。多くの大学や研究機関は、AAHRPP (Association for the Accreditation of Human Research Protection Programs) のような第三者機関による認証を取得しており、研究倫理保護体制の信頼性向上に努めています。
欧州
欧州では、各国の法規制に基づきEthics Review Committee (ERC) などが設置されています。EUレベルでは、ヒトを対象とする臨床試験に関する規則 (Clinical Trials Regulation, EU No 536/2014) や、個人データ保護に関する一般データ保護規則 (GDPR, EU 2016/679) などが倫理審査やデータ保護に大きな影響を与えています。GDPRでは、研究目的での個人データ処理についても厳格なルールが定められており、倫理審査におけるプライバシー保護の確認がより重要になっています。欧州域内の多施設共同研究では、単一の倫理審査による承認プロセスが導入されるなど、手続きの効率化が図られているケースもありますが、最終的な承認は各国当局による手続きが必要となる場合が多いです。
国際共同研究における倫理審査の留意点
国際共同研究を円滑に進めるためには、倫理審査に関して以下の点に留意する必要があります。
- 複数の倫理審査: 関与する全ての国(研究が実施される国、生体試料やデータが移送される国など)の倫理審査委員会による承認が必要となるのが原則です。各国の委員会への申請準備を並行して進める必要があり、時間と労力がかかります。
- 各国の規制・指針の違い: 倫理原則は共通していても、具体的な審査基準、手続き、必要書類、承認までの期間は国によって異なります。事前の情報収集と計画が不可欠です。
- インフォームド・コンセント: 同意説明文書の内容や取得方法は、各国の規制に加え、文化や言語の違いを考慮する必要があります。研究対象者が理解しやすいように、適切な翻訳や説明方法を検討し、現地の共同研究者と十分に連携することが重要です。
- データ・試料の国際移送: 国境を越えてヒト由来のデータや試料を移送する場合、関係する国の輸出入規制、データ保護規制(GDPRなど)に加え、倫理審査委員会による承認が必要となります。移送の目的、方法、匿名化のレベルなどを明確にし、倫理面・法制面の両方からの確認が必要です。
- 責任分担とコミュニケーション: 各国の共同研究者間で、倫理審査申請、実施状況の報告、有害事象への対応などにおける責任範囲を明確に定めておくことが重要です。定期的な情報交換を行い、倫理的な懸念が共有できるよう良好なコミュニケーションを保つ必要があります。
- 審査期間の予測: 各国の倫理審査にかかる期間は予測が難しい場合があります。研究計画全体のタイムラインを組む際には、倫理審査の期間を十分に考慮に入れ、余裕を持ったスケジュール設定が望ましいです。
まとめ
国際共同研究における倫理審査は、被験者の保護と研究の信頼性を確保するための要石です。関与する各国の倫理審査委員会の役割、手続き、規制の違いを事前に十分に理解し、現地の共同研究者と密接に連携しながら、計画的かつ誠実に準備を進めることが成功への鍵となります。異なる文化や法的背景を持つ研究者とのコミュニケーションを通じて、倫理に関する共通理解を深める努力も、国際共同研究においては非常に価値のあることと言えるでしょう。
この記事が、生命科学分野における国際共同研究を目指す若手研究者の皆様にとって、倫理審査に関する基本的な理解を深め、円滑な研究遂行の一助となれば幸いです。