研究参加者の同意撤回:国際的な権利とデータ・サンプルの扱い、共同研究の留意点
研究参加者の同意撤回権とは:国際共同研究で理解すべき基本原則
生命科学分野、特にヒトを対象とする研究では、研究参加者の自律的意思決定権を尊重することが極めて重要です。この権利の一つに、一度研究への参加に同意した後でも、いつでも、理由を問わず、不利益を受けることなくその同意を撤回できる権利(同意撤回権)があります。国際的な研究倫理指針であるヘルシンキ宣言や、医薬品の臨床試験の実施に関する基準(GCP: Good Clinical Practice)などにおいても、この権利は明確に定められています。
国際共同研究においては、複数の国の法規制や倫理ガイドラインが関与するため、同意撤回権に関する理解と、それに伴うデータやサンプルの扱いに関する各国の違いを把握しておくことが不可欠です。特に若手研究者の方々が国際共同研究に携わる際、この点は見落とされがちですが、研究の信頼性や倫理的正当性を担保する上で重要な論点となります。
この記事では、研究参加者の同意撤回権の基本的な考え方を確認しつつ、同意撤回後のデータやサンプルの扱いに関する国際的な原則や主要国の一般的な傾向、そして国際共同研究を進める上での実務的な留意点について解説します。
同意撤回後のデータ・サンプルの扱い:国際的な原則と課題
同意撤回権が行使された場合、最も実務的な課題となるのが、それまでに収集された研究参加者のデータやサンプル(試料)をどのように扱うかです。
国際的な研究倫理の原則では、同意撤回がなされた後は、その参加者から新たなデータやサンプルを収集したり、既存のサンプルから新たな測定や解析を行ったりすることは原則として禁止されます。しかし、既に収集され、匿名化または仮名化されているデータやサンプルの既存の解析結果を研究目的で利用し続けることができるかについては、各国の規制や研究プロトコル、同意説明文書の内容によって判断が分かれることがあります。
一般的な考え方としては、以下の点が考慮されます。
- 同意撤回時に、それまでに収集されたデータ・サンプルの取り扱いについて参加者に明確に説明されていたか。
- 収集されたデータが匿名化されており、もはや個人を特定できない状態であるか。
- 研究プロトコルや同意説明文書において、同意撤回後のデータ利用についてどのように規定されていたか。
多くの国では、完全に匿名化されたデータについては、同意撤回後も研究目的での利用が許容される傾向にあります。しかし、仮名化されたデータ(個人とは直接紐づかないが、特定のコード等で識別可能なデータ)や、将来的に個人が特定されうる可能性があるデータについては、慎重な検討が必要です。サンプルの扱いについても同様で、同意撤回時に破棄を求められた場合は、適切に破棄することが求められます。
国際共同研究においては、この同意撤回後のデータ・サンプルの扱いに関する規定が、参加国間で異なる可能性があります。例えば、ある国では仮名化データも同意撤回後は利用不可とする厳格な規制がある一方、別の国では事前に同意されていれば利用可能とする場合があります。このような違いは、共同研究全体のデータ解析計画やデータ共有に影響を及ぼします。
国際共同研究における実務的な留意点
国際共同研究において、研究参加者の同意撤回に適切に対応し、倫理的・法的な問題を回避するためには、以下の点に留意することが重要です。
1. 同意説明文書と研究プロトコルでの明確な規定
国際共同研究を開始する前に作成する同意説明文書(Informed Consent Form; ICF)および研究プロトコルにおいて、同意撤回権の内容、および同意撤回がなされた場合のそれまでに収集されたデータ・サンプルの扱いについて、全ての参加国の規制・倫理要件を満たす形で明確に規定する必要があります。参加者には、同意撤回後のデータ利用の可能性(匿名化した場合など)について、誤解なく理解できるよう丁寧に説明することが求められます。
2. 各国倫理審査委員会(IRB/ERC)での承認
共同研究を実施する全ての国の倫理審査委員会(IRB/ERC)において、同意撤回に関する規定を含む研究プロトコルと同意説明文書が承認される必要があります。各国のIRB/ERCは自国の法規制や倫理指針に基づいて審査を行うため、国ごとの違いを調整し、全ての委員会で承認を得られるように事前に十分な検討と準備を行うことが重要です。
3. 共同研究契約(MTA/DTA等)での取り決め
共同研究パートナー間での契約(例:Material Transfer Agreement; MTA, Data Transfer Agreement; DTAなど)においても、同意撤回された参加者に関するデータやサンプルの取り扱いについて明確に取り決めておくべきです。特に、データやサンプルが国境を越えて移送・共有される場合、同意撤回後の利用制限に関する責任分担や、破棄手順などを具体的に定めておくことで、将来的なトラブルを防ぐことができます。
4. データ管理・解析における対応
同意撤回が発生した場合、研究チーム内で速やかに情報を共有し、該当する参加者のデータ・サンプルについて、プロトコルや同意内容、各国の規制に基づいた適切な処理(例:データセットからの除外、サンプル破棄など)を行う体制を構築しておく必要があります。データ解析を行う際には、同意撤回者のデータが意図せず解析に含まれないよう、データ管理システムや解析手順に適切な仕組みを組み込むことが求められます。
まとめ
研究参加者の同意撤回権は、ヒトを対象とする研究における基本的な権利です。国際共同研究においては、この権利の尊重に加え、同意撤回後のデータ・サンプルの扱いに関する各国の法規制や倫理ガイドラインの違いを正確に理解し、適切に対応することが求められます。
研究プロトコル、同意説明文書、共同研究契約において、同意撤回に関する事項を明確に規定し、全ての関係者(研究者、参加者、倫理審査委員会、共同研究パートナー)間で共通理解を持つことが、円滑で倫理的な国際共同研究の遂行に不可欠です。若手研究者の皆様が国際共同研究に臨むにあたっては、共同研究相手国の同意撤回に関する規定や運用について、事前に十分な情報収集と確認を行うことをお勧めします。
国際的な規制・倫理動向は常に変化しています。最新の情報に基づき、常に倫理的な配慮を怠らない姿勢が、生命科学研究の信頼性を高めることに繋がります。